普段の暮らしの中でもできる仏教的行いとして、
不殺生について説明してみましたがいかがだったでしょうか?
今回は続いて不偸盗(ふちゅうとう)について私なりに分かりやすく説明してみます。
不偸盗(ふちゅうとう)
偸盗という言葉はあまり効かない単語ですが、「人の物を盗むこと」を意味します。
つまり、「人の物を盗まないこと」という戒めです。
これだけ聞くと、なんだ簡単じゃあないか、常識的な人なら、誰でも守っていることではないか、と思うかも知れませんね。
ところが仏教の目でみるとこれがなかなか難しいのです。
この教えはただ「人の物を盗らない」だけでは不十分で、盗む対象が単純に「物」に終わらないのです。
例えばいつも
噂話や無駄話ばかりして、人の貴重な時間を奪うこと。
仕事をサボって働いていない分の給料まで会社から奪うこと。
逆に、サービス残業をさせて従業員から労力を奪う経営者。
世の中には「与えられていないものを奪う」行為がけっこうあるものです。
俗世間でいういわゆる「万引き」のような行為はもちろん悪行なわけですが、それは世間でも当然犯罪として罰を受けることになります。
しかし因果法則では「万引き」しなければ、問題ない。と言うことにはならないのです。
それにもかかわらず私達人間は人間社会のルールである、法律を守ってさえいれば、幸せになる権利がある。とさえ思っているところがありますね。
生まれて大人になるまでに、真理に合わせることの大事さを教えてくれる人は稀ですから無理もありません。
お釈迦様は後生に生きる私達人類に対して、そこのところの教えを残してくれているのです。
人生は朝露のごとし~
良寛という江戸時代、庶民に親しみと信頼を得ていた、尊い僧侶の言葉に
「人生は朝露のごとし 仏法は会い難し 勤めよや」
というものがあります。
私達は果てしなく繰り返す輪廻の中にいて、ようやく心をコントロールできる人間に生まれてきたのです。
しかしその人生は朝露のごとくに短い。
そしてその間に仏教に出会う(真理について知る)機会、チャンスは限られた時、限られた人にしかありません。
知ったのなら実践した方が良いのです。
普段、何気なく当たり前に行っている行為を改めて見直すと「与えられていないものを奪う」ことをしているかもしれません。
考えてみると、、、そうそう、暴飲、暴食もそうですね。
必要以上に食べ物を地球上から奪っているのです。
その結果、お腹をこわしたり、生活習慣病になったりと。。
本当に因縁からは逃げられなくなっているのですね。
私もそうですが、皆さんも是非、できるところから「不偸盗」を実践してみてください。
最後に
お葬式や死んだ人のためにする行事は日本の文化と言えるかもしれませんが、仏教そのものとはまるで関係ありません。
日本は仏教の国。仏教と深い関わりのある国。
と思ってきましたが、実は本当の意味での仏教は日本国民には浸透していないようです。
仏教はだれにでもすぐに実践できる教えばかりです。
しかもその教えはなぜ、そうなのか、納得できる説明があります。
知りたい人には常に開放されているのです。
普通に楽しく幸せにいきるために、大いに役立つ教えばかりです。
是非とも、完璧で無くとも五戒を知って、できる限り守ってみるところから、はじめてみてはいかがでしょうか。
次回は、【不妄語】について書きたいと思います。
その3「不邪淫」についてはこちら↓