「ブッダ」と「お釈迦様」。どう違う?

仏教の開祖の事をご存じですか。 今回は仏教の開祖の呼び方について記します。

 「ブッダ」と「お釈迦様」は同義ではない

「ブッダ」とは真理を覚った人という意味です。「ブッダ」という単語だけでは特定の誰かを意味しません。

一般に私たちがよく使う「仏」(ほとけ)という単語もサンスクリット語の「Buddha」(ブッダ)を漢訳したもので意味は同じです。
さらに経典には「ブッダ」は三種類の意味で出てきます。

では「お釈迦様」とは誰のことでしょう。

それは仏教の開祖となる「ゴータマ・シッダッタ」(発音は他にもある)という名の一国の王子に生まれた方のことで、その国の名が「釈迦国」と言う名で当時の現地語であるパーリ語では「サッカ」と発音。意味は「やり遂げた」という意味です。
この「お釈迦様」の敬称として他に「釈尊(シャクソン)」や「釈迦牟尼仏陀(シャカムニブッダ)」と呼ばれる事もありますし、「ゴータマ・ブッダ」とか「ゴータマ尊師」とも言われます。ちなみに「ゴータマ」はお釈迦様の家系の姓で「最上の牛」という意味です。

三種類のブッダ

「ブッダ」と言えば覚者のことですが、詳しく分析するとその「覚り方」に違いが見られるようです。

  1. 正自覚者(正等覚者、サンマーサンブッダ)
    :真理を他人に語る能力を持ち、自分自身の能力で他人の指導を受けずに覚りに達する人
  2. 随覚者(アヌブッダ)
    :正自覚者の教えに従って覚りに達する人
  3. 独覚者(辟支仏、パッチェーカブッダ)
    :自分自身の能力で他人の指導を受けずに覚りに達するが真理を他人に語って理解させる能力は持たない人

ブッダの種類には三種類ありますが最終的な「覚り」の状態そのものに格差はありません。

仏教用語では覚った人の事を「阿羅漢(あらかん)」といいますが、彼らもまた「覚者」であり、ブッダです。

(1)正自覚者の出現によって、世界に仏教が現れますが、ある時間がたつとその教えは廃れていき、正自覚者のサンガもなくなり、その教えを実践して覚る(2)随覚者もいなくなります(これを無仏の時代という)。

その時代にも、自分なりに工夫して覚りを開く(3)独覚者は出現するが、教えが長続きする、体系化された教えとしての仏教は育たないとされているようです。

現在はお釈迦様の説いた仏教が存続しており、その教えを実践して覚る覚者がいる時代です。

仏教は誰もが実践すれば、苦しみが減っていき、その究極に「覚り」がある、という教えですから

一応、お釈迦様の教えをそのまま正しく学び、正しく実践すれば誰もがブッダとなりえる可能性があるという訳です。

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