諸行無常の意味と正しい理解!!

このページでは諸行無常(しょぎょうむじょう)について説明してみたいと思います。

能書きを語るつもりはありません。できるだけ分かりやすく、それでいて重要だと思うことをまとめてみます。

はじめに

はじめに「諸行無常」について説明するために、どうしても避けられない教えについてザっと確認しておきましょう。

仏教の真髄でもある四法印、についてです。

四法印

  • 諸行無常(しょぎょうむじょう)
  • 諸法無我(しょほうむが)
  • 一切皆苦(いっさいかいく)
  • 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

順番は関係ありません。 お釈迦様は真理の発見を目指す者にこの四つの真理を教えたのです。
その中の一つが今回説明する「諸行無常」です。

決して「諸行無常だけが特別な教え」ということではなく、真理の発見(すなわち覚り)に至る方法として、お釈迦様は修行者に、これらの観察をすすめました。

でも、このうち最後の「涅槃寂静」だけは修行者に観察できるものではありません。

なぜならこれは「真のこころの安寧、安泰な状態とは覚った境地のみである」といった意味なので、まだ覚ったことが一度も無い修行者には観察のしようがないからです。

なので修行する者は他の3つを観察します。順番はありません。

どれか一つ、その人が観察しやすいものを選び、ひたすら観察(瞑想)します。

お釈迦様が伝えたかった事

「諸行無常」という言葉は現代ではどこか一人歩きし、根本的な教えが抜けてしまっている感がありますが、あくまでも観察の対象、ということでお釈迦様が修行者に指導したものの一つです。

あるゆるものは一瞬たりとも止まっていない。
 常に変化し続けている。

この事実を我々は生まれつき見落としているのです。

ことあるごとに物事にこころがひっかかり、過ぎたことや未だ来ぬ未来を妄想し、苦しみの原因をわざわざつくりながら生きているのが人間です。

ところが私達には幸い、選択肢があるのです。

生まれつきだから仕方ない、とあきらめて生きる選択と、元々無い能力なら一から開発し、育て上げ、死ぬまで精進しましょう、と決心する選択です。

そして誰にも避けられないこの世の因果法則として、前者は苦しみが増しつづける人生となり、後者は幸福を感じながら生きる人生となるのです。

瞬間、瞬間変化し続けているものに囲まれて、また、私達の心や身体も瞬間瞬間変化しています。
言い方を変えるとあらゆるものは一瞬で生まれ、一瞬で消え去ります。そうやってただただ消滅を繰り返し、現象として現われているのです。

そこまで理解するといかに、執着が無意味で馬鹿馬鹿しいことかと知ります。

心を楽にする簡単な方法

仏教に耳をかさない人々は仏教は悲観的で虚無主義だ、思っている節があるようですが、本当はこんなにオープンで、どんな人々に対しても親切な教えはないと思います。

誰でも簡単に、楽に生きるための方法を教えてくれているのです。

在家の私達が日々の生活の中で苦しみを減らしていくためにはつまり、一瞬一瞬に集中すること。

私達は今、ここで、私、を生きているのです。

どうせ変化してしまうのだから、といい加減な生活を送っていれば望まない結果を受け入れなければならなくなります。

私達は良い結果を目指さなければなりません。

そうでないと苦しい結果が増大するばかりの世界に生きているのです。

でも心配は要りません。

今まさに自分を取り巻くものごとに集中してさえいれば、少なくとも自分のもつ能力を最大限引き出せるでしょう。
今自分がやるべき事。これが全てですから、ほかの考え事など不用です。意味が無いのです。無駄なのです。

心配事など先の自分に任せれば良いことだし、過ぎたことは過去の自分が報いを受ければ十分です。

何かと妄想ばかりの私達ですが幸せを感じる事は難しいようでいて実は簡単なのです。
妄想を絶ち、今に集中する。
そうすることで良い結果が生まれ、落ち着きを得ます。そしてまた集中。

この繰り返しです。

諸行無常とはこのような教えの元にある言葉です。

ぜひとも、に集中。 一緒に頑張りましょう!!

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